January 12, 2008

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 昨年末、1度は会うことに失敗したものの再び、彼女のイタリアへ帰国する直前を縫うようにして会う機会を得ることが出来た。
 駒場アゴラでの簡単な打ち合わせの後にJR御茶ノ水駅前にて待ち合わせ、その少し前に(殆ど同時に)Om君とも待ち合わせて Loos, A.『装飾と罪悪』を手渡す——これは彼の今月末に秋山画廊で行われる個展に用いられる予定だ。
 待ち合わせ場所に現れた日本人の彼女は、私よりも幾つか年上の外国人男性を連れていた。少しばかり4人で歓談し、Om君とは別れた。駅近くのカッフェに入り引き続きの歓談。私は余り他国語を得意とはしない、ましてや喋ることなど全然出来ないのであるから、私は日本語で彼女と話し、それを彼女が適宜イタリア語に通訳して彼とも話した。ここで私の少しも英語の出来ないことを恥じた。が、それ以上の個人的な恥だけは避けたかった——それは他国語に於ける慣用句の運用についてである。
 兎角、そして相変わらず私は時間も惜しんでひたすらに喋り倒した。喋り過ぎたくらいでまだ随分と足りないくらいだった。
 私と彼女とは(そして当然ながら彼とも)初対面であった為に、始めのうちは自己紹介のようなことをしながらも話は少しづつ美術のことに移行する。と云うのも、彼女は現在イタリアで美術を勉強していて、Arte Povera への趣味を私と同じくしていたから。のみならず私の敬愛する彫刻家・長沢英俊氏の昨年 Galleria Stusio G7(Bologna)で行われた個展に、彼女がアシスタントとして参加していた事も縁深かった。
 最近の日本に於ける美術動向の話をしながら、話題は次第に日本の文化的傾向の変化についてや現代人の主観主義化傾向、自動車のプロダクト・デザインにみる文化的な比較、天皇制に於ける宗教的な側面、重力、触覚、"軽さ"と飛躍、都市部の建築や都市計画についてなど、次々に変幻した——それらは殆ど、私の「東京」への興味に費やされた。
 暫くして、彼女の次の待ち合わせの時間も差し迫っていたので、3人は銀座へと足を移し丁度日の重なった exhibit Live & Moris で行われている「ラディカル・クロップス」展(グループ展)のオープニング・パーティに顔を出した。ここで彼女から土台・額縁に関する所謂 parergon に関する言及の有った事に、私は彼女の問題意識との親和性を感じた。
 彼女らを銀座駅の入り口まで送り届けてから再び会場へと戻り、親しい作家と歓談しながら、場所を新橋の居酒屋へと移して引き続き美術に関する雑多な話題で盛り上がる。私は挨拶がてら顔を出すかのようにその場からは早々に立ち去った。
 それから皇居を迂回するようにして山手線外回り、渋谷を経て下北沢、小指値・舞監との顔合わせも兼ねたスタッフ・ミーティングに出席。