January 11, 2008

untitled

 ノイタミナ枠の新番組『墓場鬼太郎』(原作 水木しげる)を観た。絵柄はポップであるが、話のテンポに溜めが無く横滑りしている。動画の出来も良いし、陰影に於ける版画調の質感も熟れていて悪く無い。(『怪 〜ayakashi〜』の初見に、絵に用いられた千代紙の質感が新鮮だった)観ていて楽しみはしたがすぐに飽きてしまった、この回を再び観直そうとは思わないだろう。
 近頃の漫画も随分と絵柄が洗練されてきたが、それに伴って漫画を読む楽しみも失われてしまった。これは弁士のいない紙芝居をただめくっていても何の面白味も無い事に似ている。また近頃のTV番組にあれだけ大量の字幕が用いられている事とも関係が有る。物語に於いてエグ味や渋味、濁りが失われると、あらすじだけが残りデザイン的には洗練される。が、それでは余りに浅薄である。
 小説と云うものが何故あれだけ長いのかといえば、あらすじを用いて不鮮明なものを解きほぐさんとする為であるけれども、それを読み解く為に必要な忍耐と云うものを近頃の人は余りに好まない。又、作品のもつ「強度」は、このような不鮮明なものにより実現されている。
 とすれば何故、近頃の人があれほどまでに触覚について執心するのか? おそらく主観主義傾向への偏重と、それにより先ず「分かる」と云うことへの渇望が有るからに違い無い。が、意識的な訓練無しに理解出来る程「分かり易いもの」も世の中にはそう多く無いから、昨今の消費傾向過多の風潮もそろそろ一段落する筈である。(昨年『カラマーゾフの兄弟』がベストセラーとなる珍事が起きたが、それは教養主義的な反動によるものだろう)
 とは云え、これはまだ第1話目であるから総括を下すには時期尚早であるし、それに今年の新作アニメには社会の新たな転換がいち早く実現されているようにも思われるのだから、あと暫くはこの状況を静観していようと思う。