「芸術」や「美術」、「デザイン」について、以前から用いている意味内容からの変更は無いが、ここで簡単にそれらの差異についてをまとめてみる。
先ず「芸術」は「美術」をその範疇に含むものとし、「デザイン」について対比される。主に彫刻や絵画などの空間芸術を指す。因みに私は、美術とその他の芸術との区別を余り明確には意識しない。ジャンル(範疇)とはその場限りの便宜的な区分であり、それを数多の芸術作品群に対して適用する事は可能であるが、個々の作品一つ一つについて、それらが個別に属するジャンルは必ずしも作品それ自体が自立する為の明晰な理由とは成らない。何故なら「作品」とは、作品それ自体で合目的であるような対象であり、個々の作品は作品自身が備える parergon(額縁)を根拠に他の作品とは区別されるからである。
「芸術」については "Beaux-Arts"(自由なアート)を、「デザイン」については "Lohnkunst"(報酬のアート)をそれぞれの基本的な概念として充てる。これらは単純に、 "physis"(所産)と "techne"(技術)との対立に対応している。また、カント『判断力批判』第43節の冒頭にあるように「技術が自然から区別されるのは、行為(facere)が動作或ははたらき(agere)一般から区別され、また技術の所産或は結果が"作品"(opus)として、自然の作用(effectus)〔による成果〕から区別されるのと同様である」として、技術(Kunst/Art)は自然の所産から区別される。ここで重要な事は、芸術に於ける所産と神の所産とが並立しているかのように見えると云う事である。その為に芸術作品は全きオリジナルなものとして世界に現れる。(このような「所産」についてはデリダ『エコノミメーシス』を参照。尚、この著作に見られる「太古の〔記憶以前の〕時代の無意識状態[inconscience]」や「天才は神の産出的自由に同化する」と云う件にはシェリング『人間的自由の本質』へと至るモチーフが予想される)加えて、作家の「同時代性」と云う事を鑑みる為には、「時代」に奉仕する道具的な性質を備えたものとしての「デザイン」についてを考慮しなければならない。この「道具」とは、作品素材であると同時に、それの魅力により鑑賞者の注意を喚起するような表象であり、換言すれば、作品の表象に於いて副次的な要素として看做されている「質料」及び質料性のことである。(このような「質料」についてはハイデガー『芸術作品の根源』及びデリダ『パレルゴン』を参照)作品に於ける「デザイン的な要素」は、鑑賞者の所属する時代性に追随し見慣れたものとしての親しみ易さを提供すると共に、作品が社会に於いて受容される為の要素でもある。
一先ず、作品と云う自立的なものの"自立性"が芸術であり、そのような自立的なものが社会に於いて受容され共有される為に結ぶ"関係性"がデザインである、と定義しておく。だから厳密に言えば、作品に於ける芸術性とデザイン性とは不可分の要素である。
March 19, 2008
untitled
時刻: 02:03
label: about_Art, Aphasia, memorandum