March 30, 2008

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 30日の東京藝術大学に於けるネグリ関連イベントには随分とがっかりさせられた。私はその冒頭部をインターネット中継により試聴し、そして結局は15時からのイベントに行く事を止めた。本郷東大にて友人が催した花見に顔を出す。途中、秋葉原に行き、4/3から "101Tokyo" の会場となる旧錬成中学校に立ち寄る。まだ全くの準備段階であり、ボランティア・スタッフが忙しそうに動き回っている。各員の役割分担が上手く連携されていないような印象を受けた。当日は少しまごつく場面を目にするかもしれない。会場を後にし、末広町から湯島へと歩く。小雨に降られる。不忍池を脇目に湯島天神への坂を上る。本郷東大の桜並木は薄く雨に濡れしんと静かである。友人たちはその傍らに陣取って既に酒盛りを始めていた。気温は序々に下がり、少しばかり凍えてくる。桜の花の咲き誇る枝振りの向こうには安田講堂が見える。それを眺めながら、前日に催された東京大学に於けるネグリ関連イベント姜尚中・上野千鶴子対談の事を想像し、寧ろ娯楽としてはこちらのイベントの方が面白かったのではないか? などとも考える。それから、私は連れ立っていた恋人と一緒に代々木上原へと行き、柿内崇宏『環状8号線∞ ——内側から外側へ 外側から内側に』を観る。多摩美術大学映像演劇学科出身の作家による自主制作映画。会場では私の知人や友人の又友人たちと歓談する。作品の内容は、登場人物たちがだらだらとした会話を続けると云うもので、繰り広げられていく話題には脈絡が無く、場面が淡々と移り変わることで次第に時間と場所との関連が忘却されていく。途中、VHSテープに対するノスタルジックな態度も見られたが、上映後に作家から話を聞く限りは、どうやらそれは主題の随伴線らしい。尤も、率直に、初めて映像装置を手にした時の拙い感動と驚きの事を想起しながらこの作品を鑑賞するべきなのではないか、とも思った。端的に、「眼前の世界が映像として置き換えられる事は不思議だ」と云う視座は、日常生活に於いては屢々失われがちであるから。