December 26, 2010

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昨日ギャラリーに忘れて置いた本を取りに行く。
六本木の書店にて、
かわぐちかいじ『太陽の黙示録[建国編]』(Bd. 8)、
二ノ宮知子『のだめカンタービレ』(Bd. 25)、
田中久美子『記号と再帰 記号論の形式・プログラムの必然』(東京大学出版会、2010年)[="Semiotics of Programming" 2010.]、
を購入した。

December 25, 2010

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神保町へ行き、何件かの古書店を回る。
蔵原惟人・江川卓訳『芸術と社会生活』(岩波書店、1965年)[=Плеханов, Г. В. "Искусство и общественная жизнь" 1912-13./"Письма без адреса" 1924.]、
村岡博訳『東邦の理想』(岩波書店、1943年)[=Kakuzo, O. "The Ideals of East with Special Reference to the Art of Japan" 1903.]、
堀口大學訳『戦う操縦士』(新潮社、1956年)[=Saint-Exupéry, A. "Pilote de Guerre" 1942.]、
長廣敏雄訳『美術様式論』(座右寶刊行会、1942年)[=Riegl, A. "Stilfragen.——Grundlegungen zu einer Geschichte der Ornamentik" 1893.]、
粟津則雄訳『素晴しき時の震え』(新潮社、1975年)[=Picon, G. "Admirable tremblement du temps" 1971.]、
和久井路子訳『わたしの名は紅』(藤原書店、2004年)[=Pamuk, O. "BENIM ADIM KIRMIZI" 1998.]、
川崎浹訳『黒馬を見たり』(現代思潮社、1968年)[=Ропшин, В. "Коиь Вроной" 1923.]、
齋藤雅子・中川美穂・矢部恒彦訳『スケートボーディング、空間、都市——身体と建築』(新曜社、2006年)[=Borden, I. "Skateboarding, Space and the City . Architecture and the Body" 2001.]、
篠田一士・河村二郎訳『ミメーシス—ヨーロッパ文学における現実描写』(上・下、筑摩書房、1967年)[=Auerbach, E. "Mimesis. Dargestellte Wirklichkeit in der abendländischen Literatur" 1946.]、
これらを購入した。

December 19, 2010

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元住吉に在る書店にて、
浅井健二郎編訳『ベンヤミン・コレクション5 思考のスペクトル』(筑摩書房、2010年)、
を購入した。

December 18, 2010

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綱島に在る中古本量販店にて、
山口芳裕『デカスロン』(Bd. 21-23)、
星野宣之『ヤマタイカ』(Bd. 1、2、4-6)、
同『スターダストメモリーズ』、
を購入した。

December 11, 2010

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国立新美術館にて『ゴッホ展』を観て、それから 21_21 DESIGN SIGHT で『REALITY LAB 再生・再創造』展を観た。
前者は大して面白くは無かったから、気晴らしと云う感じだった。休日と云うことも、会期終盤と云うこともあってか、客足は盛況だった。誰もがゴッホの絵を近付いて見ている。作品の直ぐ傍にまで寄って人だかりで見ているのは驚きで、きっと彼(女)らのこの日の夜の夢には筆触のお化けが現われるに違いないと思った。『マルメロ、レモン、梨、葡萄』と『アルルの寝室』を楽しんだ。
後者では、ドキュメンタリ映像が中々楽しめた。この映像を見た後では、実際に布地に触れて、どのような工夫が有ったのかを確かめてみたくなる。映像の構成の仕方は退屈であったけれども、内容は興味深かった。然し、前室の鉱石に関する展示はよく分からなかった。
夕食は六本木の裏露地に在るタイ料理屋で済ませた。この店の店長は、良く気の利く好青年だ。
電車での帰りしなに自由ヶ丘の中古本量販店に立ち寄り、
江川達也『日露戦争物語』(Bd. 6-10)、
を購入した。Aも 吉住渉『ハンサムな彼女』を全巻買っていたので、寝る前には二人でそれらを読んだ。

December 10, 2010

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日吉駅に在る書店にて、
『軍事研究』(No. 538、Jan, 2011.)、
を購入した。

December 3, 2010

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清澄白河から、都現美へ『トランスフォーメーション』展を観に行った。
その道すがらに見付けた古書店にて、
平出隆『破船のゆくえ』(思潮社、1982年)、
同『左手日記例言』(白水社、1993年)、
天沢退二郎訳『異国の女に捧げる散文』(思潮社、1998年)[=Gracq, J. "Prose Pour L'étragère" 1998.]、
を購入した。
企画展の内容は、幾分の混乱を来しているように印象した。展示だけを観るのであれば、中沢新一の連名は不要である。例え個々の作品に面白味を感じるにしろ、全体を通じて「トランスフォーメーション」の意図は図り難く、邪推を催す為に恰好の含みを提供したかにも見えるが、単なる不透明とも捉え得る。やはりアピチャッポン、高木正勝の作品に耳目を惹かれた。考えることを呼び掛けた作品はそれだけで、残りは蛇足の楽しみでも良かった。加えて言うに及べば スプツニ子 の展示は他とは毛色が浮いていたが、展示空間の奥へまで足を踏み入れる動機を持つまでには至らない、これはおそらく展示の方法か、映像が奥の壁に投影されているからなのだろうか、逆に一歩足を引いて観ることを示唆される。
売店にて一年遅れで、探してはみたが見掛けることが無かった
『Review House 03』(2009年)、
を購入した。

November 29, 2010

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つまり形式の成立の為には否応無しに観者の参与が要請され、かつ客観的には自立し得ない点を「演劇的(演劇に劣るもの)」として批判可能である。換言すれば、この形式には展示可能性しかなく、実在性が欠けている。

November 27, 2010

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青山目黒での『青田真也展』のオープニングへ行く為に中目黒へ向かった。
その途中、商店街に在った古書店にて
『独和辞典』(博友社)、
『コンパクト日中辞典』(三修社)、
平出隆『葉書でドナルド・エヴァンズに』(作品社、2001年)、
蓮見重彦訳『マゾッホとサド』(晶文社、1973年)[=Deleuze, G. "Présentation De Sacher-Masoch" 1967.]、
大久保譲訳『コミック 文体練習』(国書刊行会、2006年)[=Madden, M. "99 Ways to Tell a Story: Exercises in Style" 2005.]、
を購入した。
それからオープニングへ、久々に会う人ともこうやって話すことが出来るのは良い機会だった。青田くんの作品は奇妙に思える。手を触れることを抑制する手触りが有る。これはヤスり取られた表面が触視的に不快を引き起こすからだろう。(少し引いて、離れてみて)見た目の滑らかさ、読み取ることの出来る情報の少なさには、逆に興味の感覚が引き起こされる。言うなれば手に取ることの出来る距離に於いての押し引きが内観に生ずる。かと云って、これを実際に購入し、所有して、手近に飾ろうと云う気にはさせることがない。おそらく我が身の生活の中に、元来は生活の産物であったものが、一度は展示価値を得たもののまた再び生活へと再-参入してすっかり消え入ってしまうように創造されるからだろう。
この後、二次会にも顔を出し、ざっくばらんな歓談を楽しめた。

November 3, 2010

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秋葉原へ行き、必要な電材を購入した。秋葉原を訪れるのは久々なので楽しい。
それから、豊洲に在る大型ホームセンターへ行く。彼れや此れと、素材に用途を見出だしながら買い物をするのは楽しい。
有楽町線から三田線へ乗り換えて西巣鴨の稽古場へ行く。

October 31, 2010

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朝、池袋へ行き——結局は当初の目的を果たすことが出来なかったのだけれど——、何をする訳でも無くと、午前中を不意にするのがやはり勿体無く思えて、先ずは淳久堂へ行き、
栗原百代訳『ポストモダンの共産主義——はじめは悲劇として、二度目は笑劇として』(筑摩書房、2010年)[=Žižek, S. "First as Tragedy, Then as Farce" 2009.]、
柄谷行人『世界史の構造』(岩波書店、2010年)、
を購入し、さらに型中古本量販店へ行き、
『王立宇宙軍——オネアミスの翼』[DVD]、
を購入した。それから、雑司ヶ谷霊園へ、夏目先生の墓に立ち寄った後、荒川線に乗り西巣鴨の稽古場へ行く。

October 30, 2010

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横浜、STスポットにて、快快『アントン、猫、クリ』を観た。
非常に面白い、ドキュメンタリ演劇とも言い得る。
まるで一部が作品で、二部がそれについてのアフター・トークという構成であるかに捉えられがちであるが、実のところこれは二部構成の作品なのであり、アフター・トークと目されるものも実は作品に内包されている。と見るや、とても分かり易いものに思えてくる。
それから打ち上げに参加して、poinoさんと次の「悪魔のしるし」公演についての簡単な打ち合わせを行う。

October 27, 2010

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帰宅路の途中に在る中古ゲーム量販店にて、
『アサシンクリード』[XBOX360]、
を購入した。

October 25, 2010

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日吉に在る書店にて、
かわぐちかいじ『僕はビートルズ』(Bd. 2)、
山口貴由『シグルイ』(Bd. 12)、
を購入し、それから元住吉の線路沿いに在る中古本屋にて、
『宮沢賢治詩集』(岩波書店)、
を購入した。

October 24, 2010

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この日は雨だった。昨日の余韻も有り、自転車でNr君と快快の稽古場「急な坂スタジオ」までサイクリングする約束をしたが、雨は冷たい、背中に泥が跳ねるのを感じながら日吉まで自転車で駆けって、只何となく段々と、気分が萎れて行くのが分かって、この日の夜は大人しく家の中で過ごそうということになった。

October 23, 2010

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この日は偶然の気紛れから、自転車で都心へと向かってNr君とサイクリングをした。
稲葉まり『ユメルヘン』展(@KANZAN)のOPパーティーに顔を出した。

October 21, 2010

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日吉に在る中古本屋にて、
よしながふみ『それを言ったらおしまいよ』、
を購入した。

October 17, 2010

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この日は四谷へ、『石子順三と丸石神』(@CCAAアートプラザ)を観に行った。
前日にシンポジウムが行われていたらしく、その様子を、相変わらず熱っぽくA先生がTwitしていた為、若しくは久々に珍しく「石子順三」の名前を目にしたことから興味を惹かれて足を運んだのだが、その展示内容は余りにも拍子抜けで、企画者の意図を疑わざるを得ないものだった。
何故なら、展題の「石子順三」とは字面ばかりで、入口に彼の年譜が在る他、展示されている写真を彼が撮影したのでも無ければ、丸石も彼が採集したものでは無い。彼が丸石紙に就いて書いた生原稿も、それのコピーや書き下しも無い。彼と丸石神を結び付けるものが何も展示されてはいないのだ。それでこの展題を示されたなら誰でも首を傾げる。余計な箔や理由を付けずに、単に『丸石神展』でも良いのではないか?
それから、原宿へ行き、最近出来たというハンバーガー屋のレジで嵐のような商品説明を受け、 大振りなハンバーガーを食べて、VACANTへ行き、スペクタクル・イン・ザ・ファームのプレ・イベントに顔を出した。それから何人かと呑んだ。

October 15, 2010

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この日は代官山unitへ、ovalのオールナイト・ライブへ行った。

October 14, 2010

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日吉に在る中古本屋にて、
石ノ森正太郎『サイボーグ009』(Bd. 1-15)[文庫版]、
を購入した。

October 13, 2010

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日吉に在るコンヴィニで、
ヤマザキマリ『テルマエ・ロマエ』(Bd. 2)、
を購入した。

October 12, 2010

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日吉駅に在る書店にて、
『軍事研究』(No. 536, Nov., 2010.)、
ヤマザキマリ『テルマエ・ロマエ』(Bd. 1)、
地獄のミサワ『カッコカワイイ宣言!』(Bd. 1)、
を購入した。
それから火曜会の為に下北沢へ。駅からの途中、また件の古書店に立ち寄り、
池田亀鑑・秋山虔校注『紫式部日記』(岩波書店、1964年)、
安田靫彦『画想』(中央公論美術出版、1982年)、
菅靖彦訳『意識の中心——内的空間の自叙伝』(平河出版社、1991年)[=Lilly, J. C. "The Center of the Cyclone" 1972.]、
を購入した。

October 11, 2010

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午前中に白川公園会場(名古屋市美)を観て回り、
それからYsdさん、Aot君と合流して豊田市美へ『石上純也』展を観た。
それから名古屋駅へ戻り、慌ただしく土産物を買い、ホームできしめんを食べ、新幹線に乗り、確か21時過ぎに新横浜に着いた。

October 10, 2010

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映像プログラム、アピチャッポンの回を観て、それから昼過ぎからぐだぐだと、その他の会場を観て回った。
雨に濡れてぐずぐずになった靴が臭い。途中で靴下を買って、それに履き替えた。
大須の商店街を少しだけ歩いた。
Ysdさんから自転車を借りて、夜中の名古屋市街を走り回った。

October 9, 2010

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名古屋城へと行く。雨だ。
芸術文化センター会場を観る。
長者町で梅田哲也のパフォーマンスを観て、それから長者町会場の幾つかを観て回る。
Ysdさん、Mrt君、Aot君らと「世界の山ちゃん」で呑んだ。

October 8, 2010

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新宿からの夜行バスに乗り、Aと6時前に名古屋に着いた。

October 6, 2010

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日吉に在る中古本屋にて、
松本零士『恐竜総物語』、
同『無限海漂流記』(Bd. 1、2)、
手塚治虫『人間ども集まれ! 完全版』、
候孝賢『珈琲時光』(DVD、103min、2003年)、
を購入した。

October 3, 2010

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Aと六本木で待ち合わせて、サントリー美術館『鍋島 誇り高きデザイン』展を観に行った。
これは余暇。

October 1, 2010

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帰宅路にある中古ゲーム量販店にて、
『ぺとぺとさん』(Bd. 1-7、DVD)、
『三国志』(GB、光栄、1992年)、
『ヨーロッパ戦線』(SFC、光栄、1993年)、
を購入した。

September 30, 2010

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日吉に在る書店にて、
ハロルド作石『7人のシェークスピア』(Bd. 2)、
かわぐちかいじ『太陽の黙示録[建国編]』(Bd. 7)、
を購入した。

September 28, 2010

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日吉に在る中古本屋にて、
伊藤潤二『伊藤潤二恐怖マンガCollection⑥ 双一の呪いの日記』、
を購入した。

September 26, 2010

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この日も天気が良かった。
昨日の未練が断ち切れず、千駄木まで行く気分でいた。
向かう途中、大手町での乗り換えでふと地上に出てみたくなり、そのまま江戸城趾を足早に散歩した。
それから千代田線、千駄木駅で降りてから件の古道具屋へ行く。
ひっきりなしに見知らぬ客(当然ながら)、行きずりのモノ好きらが入れ替わり立ち替わりするので、店内は軽い混雑となる。
だが思うものがなく、もう一つまた別の古道具屋へ行き、漁網紋様の蓋付きの茶碗、緑色の印刷のある平皿、絵葉書2枚を購入した。
それから少し歩いて古書店に立ち寄り、だがやはり心に引っ掛かりが起こり、最初に訪れた古道具屋へ戻り、硝子コップを2
つ、アルミ碗、卓上時計を購入した。
天候が崩れてきた。定刻も近付いてきたので、足早に上野駅へと向かう。途中、脇目に不忍池の蓮を見た。
新宿にて舞台照明の顔合わせと簡単な打ち合わせ(※悪魔のしるし 2012/12/19 補記)を行う。
携帯電話のコネクタ部分が破損し、データのバックアップすら危うくなる。
急遽として機種変更の手続きを行う。
もう夜になり、小雨がパラついていた。

September 25, 2010

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Aと根津へ、根津神社を散策して千駄木へ。この頃気掛かりとなっていた古道具屋へ。だが、上手く時間が合わず売り物を見ることが出来なかった。途中、Hb夫妻とも合流していて、当て所無くその足で谷中へ、途中二三件の飲み屋を覗いて、具合よく席の空いていた蕎麦屋に腰を据える。日本酒を呑み浅酌底吟。それから谷中墓地を抜け上野駅へ。彼ら夫妻とはそこで別れて、Aとまた少しだけアメ横の居酒屋で呑み直して帰宅する。

September 24, 2010

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代休取得の2休目の日。元住吉に在る書店にて、
いくえみ綾『潔く柔く』(Bd. 13)、
山田芳裕『度胸星』(Bd. 3)[文庫版]、
を購入する。
それから綱島に在る中古本量販店へも足を伸ばし、
安彦良和『虹色のトロツキー』(bd. 5-8)[単行本版]、
岩明均『雪の峠|剣の舞』、
を購入した。

September 22, 2010

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職場の打ち上げを日吉のアイリッシュ・バーにて。

September 20, 2010

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昨晩のKl氏へのお礼のため、Aと浅草で和紙を買いに行く。私にとっては初めての浅草となる。アサヒビール社屋とこれほど近いとは思わなかった。自宅に近い高台からの眺望からは見付ける事が出来ないスカイツリーがこれほど近いとも知らなかった。また、雷門の提灯はもっと大きいと思っていた。久々にもんじゃ焼きを食べた。

September 19, 2010

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Aの計らいで、帽子デザイナーのKl、M、友人のAkさんと一緒に渋谷で呑んだ。とても楽しかった。途中で出された冬瓜の煮込みが美味しく、あれからスーパーで冬瓜を見掛ける度に調理法を勘案している。AとAkさんに所々通訳を入れてもらう。英語は、聞く分には余り問題が無いが、やはり話す事が困難である。ドイツ語で"Karlsruhe"と云う発音を褒められた。まるでH先生の小説の事と同じだ。

September 18, 2010

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試遊台スタッフとしてTGSへ。

September 17, 2010

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TGS視察のため海浜幕張へ。
驚くべきタイトルは無いが、最も注目度の高かったコンテンツは間違い無く MS の "Kinect" だろう。
ホットパンツのコンパニオンたちが間歇的にダンスを行ってブースを盛り上げているのは、ファッションと演出とが噛み合っていてとても楽しい。
他方で Sony ブースの "Move" はと言えば、二階建てアパートふうの小部屋で、コンパニオンと(それとスタッフ一人)一緒にネオン照明のような色使いの部屋でスティックを振る(しかもブースの正面からはその様子がショーケースのように並んでいる)というのは何か如何わしい見え方がする。
AR(拡張現実)系のコンテンツは思ったよりもずっと少ない(目立つものでは Forum8 "VR-Stdio"、Parrot "AR. Drone" か)。おそらくゲームに落とすまでに技術が熟れていないのだろう。
Kinect については、残念ながら試遊出来なかったのでプレイヤーの動きを読み取る精度がどの程度あるのかは分からないが、少なからず試遊の様子など見ている限り、最初のうちは不随意が生じるようだし、どのような動きがゲームに反映されるのかが分からない為の戸惑いも散見された。その結果、プレイヤーは探り‥何ともなく身体を動かし、画面上では予期せぬポイントが入るというような予想との離反は生じる。
他方で近年よく見られる「簡単操作で派手なアクション」系のゲームでもボタン操作が連打に偏り易く、コントローラをガチャ押ししているだけで何となく派手なアクションが生じて敵が次々倒れていくというのは、先に挙げたKinectと同様の予想と結果の離反に見える(Ignition "El Shaddai" で3Dアクションよりも寧ろ古典的な横スクロール2Dアクションの方がずっと難易度が高かったのが印象的だった)。要は手と目の連携を得る為の経験情報に乏しい状態であるけれど、これは操作と反映の間にあるファジーなチューニングの仕方によると思われる(完全に一致させる方が難しい。これは機械の"あそび"と同様)。このファジーのチューニングがプレイヤーにとって心地好いゲーム体験とならない場合、攻略の経験が希薄でプレイ技術を磨く意欲は削がれる。

September 13, 2010

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日吉のCD屋にて、
くるり『言葉にならない、笑顔を見せてくれよ』(2010年)、
を購入した。すごい!
何にしろ「温泉」や「銭湯」というモチーフは流行っている。
「きみとぼく」でも「わたしと世界」でもなく、近所のじいさんや散歩道の犬くらいに、生活圏でもごく身近な「近所」くらいの距離感にじっくりと取り組んでいる姿勢には共感を覚える。
江戸時代の風俗画のようなヌケに対する憧れがある。

September 12, 2010

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西荻窪にて、Kzn夫妻、A、Hb(Mto)さんと酒を飲み、歓談した。

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西荻窪にて、Kzn夫妻、A、Hb(Mto)さんと酒を飲み、歓談した。

September 11, 2010

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神保町に在る古書店にて、
清水純一『ルネサンスの偉大と頽廃—ブルーノの生涯と思想—』(岩波書店、1972年)、
江戸川乱歩『芋虫』(角川書店、1973年)、
堀口大學訳『夜間飛行』(新潮社、1956年)[=Saint-Exupéry "Vol de Nuit"]、
を購入した。
Aとバーで飲み、それから友人のTkh君と合流して芝公園で飲んだ。

September 10, 2010

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日吉駅に在る書店にて、
『軍事研究』(No. 535, Oct., 2010.)、
を購入した。
Osm君のライブを観に、渋谷へ行った。

September 9, 2010

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日吉に在る中古本屋にて、
八木教広『エンジェル伝説』(Bd. 14, 15)、
青柳裕介『女敵き討ち』(2005年)、
を購入した。

September 7, 2010

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日吉に在る中古本屋にて、
杉山光信・杉山恵美子訳『〈子供〉の誕生』(みすず書房、1980年)[=Ariés, P. "L'enfant et la vie familiale sons l' Ancien Régime" 1960.]、
を購入した。

August 27, 2010

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日吉の書店にて、
かわぐちかいじ『ぼくはビートルズ』(Bd.1)、
を購入した。

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日吉の書店にて、
かわぐちかいじ『ぼくはビートルズ』(Bd.1)、
を購入した。

August 25, 2010

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渋谷の TOWER RECORDS にて、
oval "o"(HEADZ、2010年)、
を購入した。
既に先行発表された "oh" やフリーダウンロード盤の "失念" でも予見されていた事であるが、やはり極めて革新的な印象のするアルバムだと感じる。

August 22, 2010

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元住吉の線路沿いに在る中古本屋にて、
宇井伯寿・高崎直道訳注『大乗起信論』(岩波書店、1994年)、
を購入した。

August 15, 2010

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終戦記念日の日に、東京芸術劇場にて快快の公演を観る。この時、副館長のT先生と久々に会い、あれこれ近況のことを話した。

August 14, 2010

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アメリカに嫁いだ幼馴染みの家に行き、おそらく5年振りくらいに顔を合わせる。
おじさん、おばさんとも会うのはやはり久々の事で、どうも勝手が違ったようになり気恥ずかしい感じがする。
だが、年を経る事で昔有った交流も今や絶えるか疎遠ともなり、また別の交流を持ったり生み出したりするのは、生活の流転とも思え、物悲しく寂しくもあり、亦た私の情念の変移が他人のそれとは異なりゆっくりであるから、以前と同じような心持ちを抱えても周囲からは遅れて取り残されたようで、少なからず戸惑いが在る。
夜には高校時代の恩師と会う事になり、この歓談も久々のことであったから嬉しかった。

August 13, 2010

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この日は天候が安定せず、小雨などパラつくので、自転車で走り回る事は余り出来なかった。
前日と同じ中古本量販店にて、
くらもちふさこ『おばけたんご』(集英社、1993年)、
を購入した。

August 12, 2010

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また習慣のように、郷里の変化を自転車を駆って見て回る。
その途中、中古本量販店にて、
望月峯太郎『ずっと先の話』(講談社、2001年)、
『イノセンスの情景』(DVD、2004年)、
を購入した。
それから、その向かいの書店にて、
『軍事研究』(No. 534, Spt., 2010.)、
を購入し、また隣のカッフェで読んだ。

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また習慣のように、郷里の変化を自転車を駆って見て回る。
その途中、中古本量販店にて、
望月峯太郎『ずっと先の話』(講談社、2001年)、
『イノセンスの情景』(DVD、2004年)、
を購入した。
それから、その向かいの書店にて、
『軍事研究』(No. 534, Spt., 2010.)、
を購入し、また隣のカッフェで読んだ。

August 11, 2010

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帰郷する為に、武蔵小杉から宇都宮線直通の湘南新宿ラインに乗り込む。
実家の自転車はもう処分してしまったと母親から聞いていたから、行く先での足もなければ退屈だろうと思い、自転車を抱えて行く。
輪行バッグはこの昨日繕った、コーヒー豆を入れる為の麻袋を2枚綴ったものである。
そして、この行程が、手術後初めての帰郷のものだと思えば、やはり如何とも感慨深いのである。

August 10, 2010

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火曜会の為に下北沢へ行く。
件の古書店にて、
樋口覚訳『スフィンクスと虹——脳と心と未来像』(青土社、1985年)[=Loye, D. "The Sphinx and The Rainbow" 1983.]、
若森栄樹訳『境域』(書肆心水、2010年)[=Derrida, J. "Parages" 2003.]、
を購入した。
この回のプレゼント交換て、私はH先生から、
『彷書月刊』(Aug., No.298, 2010.)[特集:川崎長太郎のうたごえ]、
と、小倉織の栞を頂いた。

August 9, 2010

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自由ヶ丘に在中古本量販店にて、
かわぐちかいじ『沈黙の艦隊』(Bd. 31)、
『ブラックホール』(日本放送出版)、
を購入した。

August 8, 2010

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綱島に在る中古本量販店にて、
かわぐちかいじ『ジパング』(Bd. 25-28)、
を購入し、元住吉に在る書店にて、
『失念』(ミシェル・フーコー)、
を購入した。

August 4, 2010

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武蔵小杉へ行き、大学院時代の後輩Abmさんと久々に会って呑んだ。

July 17, 2010

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『グッバイ、レーニン!』をまた観ている。私はこの映画の中盤に有るシーン、ヘリコプターに吊るされて輸送されるレーニン像の上半身が主人公の母親の方へゆっくりと近付き、有名なポーズである右手を挙げた、彼の上に掲げられた右手を――宙吊りに遭うことで重心が傾いた為に、下半身から切り離されて真直ぐ立つ事が出来なくなったが為に――彼女へと向かって差し延べているかのように見える、雄々しいレーニン、力強いレーニンが彼女の理想としただろう輝かしい社会主義の東ドイツの方へ向かってゆっくりと手を差し伸べていながらも、そして徐々に遠ざかって行く――あろう事か、後ろ向きに!――このシーンに大変な感銘を抱いている。
私がまだ大学院生だった頃に、或る読書会で、白井氏が強調したレーニンが唱える「力」というものを、ただ熱心に、だが私はそのときもまだ充分に彼が強調する「力」という概念を理解する事が無かったのだが、とは云え大変魅力的に響いたこの「力」のことを、私はまだ何ともなしに信じているようなところがあって、例えばドイツロマン派の諸作品やシェリングの哲学、Benjamin, W. の亡命、南方の粘菌、折口の言語情調論、オッペンハイマーの "Death am I, and my present task Destruction.(我は死なり、世界の破壊者なり)"、輝かしい光 Bright than a Thouthand Suns. ――上に挙げた映画の終わりに、主人公が彼のその病床に臥せった母親に自作の捏造ビデオを(TV放送と偽って)観せて、輝かしい、理想の社会主義世界、空想の架空の東ドイツを中心としたドイツ統一の様子に母親を感動させるとき、彼が何度も母親の方へ振り返って自信や確信に満ちた表情をするときに表れた「力」、それら様々な力は蒙昧を伴ってときに人間の人格に備わった尊厳で有るかのように振舞うが、これは先ず人間にとってはどう仕様もない「力」であり、最初から繰り返されるようにして現れた「力」である。これは機械のようであり、この「力」を扱う者は工夫(こうふ)に似ている。

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日吉駅に在る書店にて、
山田芳裕『へうげもの』(Bd. 11)、
高山鉄男訳『悪魔祓い』(岩波書店、2010年)[=Le Cle´zio, J. M. G. "HAI¨" 1971.]、
岡谷公二・田中淳一・高橋達明訳『幻のアフリカ』(平凡社、2010年)[=Leiris, M. "L'Afrique fantôme" 1934/1951.]、
を購入した。
渋谷に在る TowerRecords にて、
Tortoise"失念"
The Books"失念"
を購入した。
日吉に在るコンビニにて、
若杉『デトロイト・メタル・シティ』(Bd.10)、
を購入した。

July 12, 2010

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日吉駅に在る書店にて、
『軍事研究』(No. 533, Aug., 2010.)、
石川雅之『もやしもん』(Bd.9)、
を購入した。

July 11, 2010

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Aと丸の内、三菱一号館へ行き、2度目の『マネ』展を観た。

July 10, 2010

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綱島に在る中古本量販店にて、
安彦良和『ヴィナス戦記』(Bd.1-4)、
あずまきよひこ『あずまんが大王』(Bd.1-4)、
吾妻ひでお『失踪日記』(2005年)、
かわぐちかいじ『沈黙の艦隊』(Bd.21-30, 32)
を購入した。

July 5, 2010

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日吉に在る書店にて、
かわぐちかいじ『太陽の黙示録[建国編]』(Bd.6)、
幸村誠『ヴィンランド・サガ』(Bd.9)、
を購入した。

July 4, 2010

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Aと、根津美術館『能面の心・装束の華——物語をうつす姿』展を観て、それからサントリー美術館『国立能楽堂コレクション展「能の雅 狂言の妙」』を観た。

July 3, 2010

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元住吉の線路沿いに在る中古本屋にて、
大友克洋『彼女の想いで…』(講談社、1990年)、
工藤正広訳『蒼ざめた馬』(晶文社、1967年)[=Ропшин, В. "Конъ Бледный" 1913.]、
を購入した。

July 2, 2010

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銀座の画廊を回った。

July 1, 2010

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綱島の河川敷まで自転車で走り行って、返ってきた。
近所のコンビニにて、
クトゥルフ神話研究会『[オールカラー]本当に恐ろしいクトゥルフ神話』(笠倉出版社、2010年)、
を購入した。

June 30, 2010

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綱島に在る中古本量販店にて、
かわぐちかいじ『沈黙の艦隊』(Bd.11-20)、
山口芳裕『デカスロン』(Bd.11)、
幸村誠『ヴィンランド・サガ』(Bd.5, 6)、
うすた京介『すごいよ!!マサルさん』(Bd.6, 7)、
を購入した。

June 29, 2010

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線路沿いに在る中古本屋にて、
伊藤潤二『屋根裏の長い髪』(朝日ソノラマ、1990年)、
同『JUNJIの恐怖コレクション4 路地裏』(同、1992年)、
同『JUNJIの恐怖コレクション5 布製教師』(同、1993年)、
同『画家』(同、1996年)、
を購入した。

June 28, 2010

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朝食前の回診で抜孔する。
採血、レントゲン検査の後、昼食を済ませて退院した。

June 27, 2010

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頸がやや動くようになる。
寝返りが打てるようになる。
暇を持て余すようなる。
退院が予定よりも早まる。

June 26, 2010

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病衣を止めて、私服を着るようになる。
二度目のシャワー。

June 25, 2010

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酸素吸入が終わる。

June 24, 2010

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昼過ぎに久々のシャワー。
病院の裏手に在る公園を散歩。
採血、レントゲン検査。

June 23, 2010

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朝食前の回診でドレーン管、背中に刺さっていた痛み止めの管を抜く。

June 22, 2010

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禁食が解けて朝食を食べる。
昼食も食べる。
昼過ぎに一般病棟へ移動。
夕方、色々の器具を曳きながらも歩く事が出来る。
採血、レントゲン検査。

June 21, 2010

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朝、歩いて手術室へ向かい、手術台の上に寝る。
昼過ぎ、気が付くと手術は終わっている。ほんの数分の間だけ意識がブラックアウトしていたような感覚。
そのままICUヘ。
切除された腫瘍を見る。それは私のこぶしほどの大きさである。

June 20, 2010

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一次帰宅から覚めて、再び入院。

June 19, 2010

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タンザニアの小さい一木彫りの椅子を購入した。
店主との価格交渉の末に、折り合いがついたからだ。
銭湯に行った帰りに、今は晴れているからと編み籠を取りに寄れば、レジの横にぴかぴかに磨き上げられたこの小さな椅子が置いてある。
「どうせ買うだろうから、磨いておいた」とその店主。

June 18, 2010

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一次帰宅した。
アジア・アフリカ雑貨の店で具合の良い編み籠を買った。
まだ雨が降っていたので、この編み籠は預かってもらった。
タンザニアの小さな椅子に惹かれたのだが、値札との折り合いがつかずに暫し悩んで、買うことは控えた。

June 17, 2010

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入院した。

June 12, 2010

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丸の内へ行き、『マネとモダン・パリ』展(@三菱一号館美術館)を観る。
展示の導線が分かり難い、自動ドアが多い建物。
まともに"マネばかり"というのが予想を裏切って良かった点だ。
同時代作家、版画などで展示ヴォリュームを稼いではいるものの、不満に感じる割合ではなく、『大鴉』の挿絵などは嬉しい。
それから一度、なびす画廊に顔を出す。まだ用を成さず丸善へ行き、
『軍事研究』(No. 532, Jul., 2010.)、
和久井路子訳『イスタンブール——思い出とこの町』(藤原書店、2007年)[Pamuk, O. "İstanbul" 2003.]、
を購入した。
復た、なびす画廊に立ち寄り久々にMさんと話をする。(M先生の近況なども伺いながら)。
Madan Lal "New Bronzes and Drawings" 2009.、
同 "Madan Lal's Sclupture in Japan" 2003.、
画集を2冊頂いた。2009年の展示を私は観ている。

June 11, 2010

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日吉に在る中古ゲーム屋にて、
『モダンウォーフェアー』(XBOX360, 2009.)、
を購入した。

June 10, 2010

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日吉駅に在る書店にて、
鼓直訳『創造者』(岩波書店、2009年)[=Borges, J.L., "El Hacedor" 1960.]、
を購入した。

June 9, 2010

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近所の中古ゲーム量販店にて、
『Giras of War』(XBOX360, 2007.)、
を購入した。

June 8, 2010

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火曜会の為に下北沢へ行く。
その途中、いつもの古書店に寄り、
安部公房『砂漠の思想』(講談社、1970年)、
大江健三郎『M/Tと森のフシギの物語』(岩波書店、1986年)、
江戸川乱歩『江戸川乱歩 全集 第三巻 パノラマ島奇談』(講談社、1978年)[既に所持している]、
を購入した。店主の老人が、また暇になると頬をぷうと膨らませて、それがオーブンの硝子越しに覗いた焼き菓子のようであり、可愛らしいぷうとしたこの膨らみには触れてみたくもある。
乱歩はプレゼント交換の際に同窓のSさんの手へ渡った。

June 6, 2010

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池袋、東京劇場にて、快快『SHIBAHAMA』を観た。
と、その前に立ち寄った、もう店を閉めると云う古書店にて、
中沢新一訳『※サーカス』
を購入したのだが、これは案外、彼らの作品を紐解く上での良い道具立てになりそうだと思っている。

June 5, 2010

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京セラ製のセラミック包丁を購入し、胡瓜を切っていたときに、早速その素晴らしい切れ味の為に刃先で指先を撫でて切った。

June 4, 2010

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近所の中古ゲーム量販店にて、
『ストIV』(CAPCOM, XBOX360, 2009.)、
を購入した。

June 2, 2010

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近所のコンヴィニにて、
ハロルド作石『7人のシェイクスピア』(Bd.1)、
を購入した。

May 27, 2010

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近所のコンヴィニにて、
井上武彦『バガボンド』(Bd.33)
を購入した。

May 24, 2010

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カンヌ国際映画祭にて、アピチャッポンがパルメ・ドールを受賞した。
何て喜ばしいことだろうか!

May 23, 2010

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Aと新宿へ行き、タイ料理屋「ラムヤイ」で夕食を済ませた。
食が細ったのか、思ったよりも早く、直ぐに満腹になってしまった。

May 22, 2010

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退院した。
元住吉に在る中古本屋にて、
加茂儀一訳『栽培植物の起源 上・中・下』(岩波書店、1953, 1958, 1958.)[=de Candolle, A. "Origine des Plantes Cultivées" 1883.]、
前川貞次郎訳『学問芸術論』(岩波書店、1968年)[=Rousseau, J.-J. "Discours sur les Sciences et les Arts" 1750.]、
を購入した。
Aと、自宅により近い方の沖縄料理屋「アヤメ」へ行き夕食を済ませた。

May 21, 2010

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元住吉の書店にて、
岩明均『ヒストリエ』(Bd. 6)、
を購入した。

May 18, 2010

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検査の為、入院した。

May 17, 2010

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元住吉に在る中古本屋にて、
『STUDIO VOICE』(Vol. 229, Jan., 1995.)[特集:シネマ・スタッフ・サーキット]、
同(Vol. 281, May, 1999.)[特集:「映画を作る方法」フィルムメーカーズ・マニュアル!]、
を購入した。
この中古本屋は今月いっぱいで閉店とのこと、よく足を向ける店であるので残念な気になる。

May 14, 2010

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検査の為、新横浜に在る病院へ行く。
CT、MRI、PETと、ドーナツ型の医療機器が目白押し。MRIは騒々しい音を発する。それが'70年代の電子音楽であるかのよに思える。タオルに包まれて身動き一つ取れずに、ドーナツの穴の中を通って行く。

May 12, 2010

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日吉に在る中古本販売店にて、
柴門ふみ『東京ラブストーリー』(Bd. 1-4)、
松本零士『クイーン・エメラルダス』(Bd. 1-4)、
を購入した。

May 11, 2010

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胸の辺りが痛むので病院に行った。
どうせ心臓の具合が悪化したのだろうと思っていたら違った。レントゲンを見て、左心房が変形したものと看做していたものが、実は肺に出来た腫瘍だと云う事が分かった。
(5/6の夕方に、唐突に咳が出始めた。この日は26時頃に寝入った。5/7の深夜03:30頃に、突然胸の辺りが酷く痛み、その痛みで目が覚めた。1時間程この痛みに苦しみ、やがて睡魔に負けることで暫し痛みを忘れた)

May 10, 2010

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元住吉駅に在る書店にて、
『軍事研究』(No. 531, Jun., 2010.)、
を購入した。

May 5, 2010

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尾山台に在る中古本屋にて、
清水純一訳『無限、宇宙および諸世界について』(岩波書店、1982年)[=Bruno, G. "De L'infinito, Universo e Mondi" 1984.]、
佐々木理訳『ソークラテースの思い出』(岩波書店、1953年)[=ΞΕΝΟΦΩΝΤΕΣ "ΑΠΟΜΝΗΜΟΝΕΥΜΑΤΑ"]、
中沢新一『野ウサギの走り』(中央公論社、1989年)、
を購入した。
それから、自由ヶ丘に在る中古本量販店にて、
かわぐちかいじ『ジパング』(Bd. 23)、
同『沈黙の艦隊』(Bd. 1-10)、
山口貴由『覚悟のススメ』(Bd. 1-11)、
星野之宣『宗像教授伝奇考』(Bd. 1)、
を購入した。

May 4, 2010

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川崎市市民ミュージアムへ行き、『横山裕一 ネオ漫画の全記録:「わたしは時間を描いている」』展を観た。
アンケートに答えて、また"ささやかなプレゼント"を貰う。
横山裕一『ニュー土木』(イースト・プレス、2004年)、
同『トラベル』(イースト・プレス、2006年)、
を購入した。

May 2, 2010

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渋谷に在る中古本量販店にて、
手塚治虫『七色いんこ』(Bd. 2, 3)、
吉住渉『ママレード・ボーイ』(Bd. 2, 3)、
大江健三郎『万延元年のフットボール』(講談社、1967年)、
『巨匠の世界 ゴヤ』(タイム ライフ インターナショナル、1969年)、
『原色日本の美術 面と肖像』(Bd. 23、小学館、1971年)、
を購入した。

May 1, 2010

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Aと、元住吉に在る沖縄料理屋で夕食をとった。
とてもその店が気に入った。

April 30, 2010

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昼に、日吉駅に在る本屋へ行き、
石黒正数『それでも町は廻っている』(Bd. 7)、
同『響子とお父さん』、
を購入した。

April 29, 2010

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Aと渋谷に在る台湾料理屋で夕食をとった。
渋谷に在る中古本量販店にて、
手塚治虫『七色いんこ』(Bd. 5)、
を購入した。
自由ヶ丘に在る中古本量販店にて、
(『原色日本の美術』シリーズ)『原始美術』(Bd. 1、小学館、1970年)、
同『密教寺院と貞観美術』(Bd. 5、同、1967年)、
同『神社と霊廟』(Bd. 16、同、1968年)、
を購入した。

April 28, 2010

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元住吉に在る中古本屋にて、
石黒正数『それでも町は廻っている』(Bd. 2)、
松本零士『元祖大四畳半物語』(Bd. 1-6)、
を購入した。

April 25, 2010

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渋谷の Recofan へ行き、
Greatful Dead "What A Long Strage Trip It's Been: The Best Of The Greatful Dead" 1977.、
を購入した。
次に Tower Records へ行き、
"Slute to Parcy Grainger" (Benjamin Britten, English Chamber Orchestra, 1968) DECCA, 1969.、
二ノ宮知子『のだめカンタービレ』(Bd. 24)、
を購入した。

April 24, 2010

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川崎市市民ミュージアムまで自転車で駆けて、
『横山裕一 ネオ漫画の全記録:「わたしは時間を描いている」』展を観た。
アンケートに答えて"ささやかなプレゼント"を貰う。
『防水インパール』という板絵がとても善かった。
元住吉の線路沿いに在る中古本屋にて、
住吉渉『ママレード・ボーイ』(Bd. 1, 4-8)、
荒木飛呂彦『死刑執行中脱獄進行中』、
同『ゴージャス・アイリン』、
を購入し、商店街のカッフェでそれらを読み終えた。
それから六本木、21_21 Design Sight へ行き、『POST FOSSIL』展を観た。
あの狭いコンクリート空間には有り得ない物量。洒落た家具展示場と云うか、まだ空気が馴染み切らないような雰囲気があった。
形態に惹かれる作品もあったが、質感のエッジの丸さに「気遣い」を感じてしまうから、これらはやはりオブジェでは無くてプロダクトなのだ、という納得がある。
大江戸線で新宿、淳久堂書店へ行き、
國分功一郎・千葉雅也訳『アンチ・オイティプス草稿』(みすず書房、2010年)[=Guattari, F. "Écrits Pour L'Anti-Œdipe" ed. Nadaud, S. 2005.]、
を購入し、それを手に取って我がものにし、ひとしきり走り読みして満足した。

April 23, 2010

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昼休みに、日吉駅に在る書店にて、
いくえみ綾『潔く柔く』(Bd. 12)、
を購入した。
会社のパーティを切り上げた後、Wと呑んだ。
それから、元住吉に在る中古本屋にて、
松本零士『銀河鉄道999』(Bd. 1-18)、
を購入した。

April 20, 2010

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日吉に在る中古本屋にて、
かわぐちかいじ『ジパング』(Bd. 20-22)、
を購入した。

April 18, 2010

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尾山台の洋菓子屋へ行った折に、中古本屋にて、
なにわ小吉『王様はロバ』(Bd. 1-7)、
服部英次郎・井上庄七訳『ブルーノ』(岩波書店、1955年)[=Schelling "Bruno oder über das göttliche und natürliche Prinzip der Dinge" 1802.]、
勝田守一訳『学問論』(岩波書店、1957年)[=Schelling "Vorlesungen über die Methode das akademschen Studiums" 1803.]、
西谷啓治訳『人間的自由の本質』(岩波書店、1951年)[=Schelling "Philosophische Untersuchungen über das wesen der Menschlichen Freiheit" 1809.]、
を購入した。

April 17, 2010

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元住吉の線路沿いに在る中古本屋にて、
望月峯太郎『ドラゴンヘッド』(Bd. 1-10)、
夏目漱石『漱石全集 小品 上・下』(Bd. 16, 17、岩波書店)、
湯川秀樹編『学問の世界 対談集』(岩波書店、1970年)、
織田武雄『地図の歴史——世界篇』(講談社、1974年)、
を購入した。

April 15, 2010

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余りに驚いた。きみは美人だし、何とも"煙草屋小町"と云う感じだ。

April 13, 2010

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火曜会の為に下北沢へ。道すがらの古書店にて、
中上健次『岬』(文藝春秋、1976年)、
ボルヘス(書名失念)、
江戸川乱歩(書名失念)[文庫]、
を購入した。
ボルヘス、乱歩は後輩の手に渡り、代わりに、
堀口大學訳『人間の土地』(新潮社、1955年)[=Sant-Exupéry "Terre des Hommes" 1939.]、
を貰った。

April 12, 2010

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日吉駅に在る書店にて、
『軍事研究』(No. 530, May, 2010.)、
水木しげる『水木しげるの遠野物語』(小学館、2010年)、
を購入した。

April 11, 2010

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綱島に在る中古本量販店にて、
かわぐちかいじ『ジパング』(Bd. 1-19)、
を購入した。

April 10, 2010

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自転車に乗って、川崎市市民ミュージアムへ行き、『安田靫彦』展を観た。
展示は下絵、習作が主で、本画は少ないものの、中々楽しむことが出来る内容。
青年期から晩年へ、鉛筆の筆圧が変じて行くのを順を追って確認する事はやはり楽しい。
それにしても、安田の筆致を良寛と結び付ける事は思いもよらなかったのだが、彼が熱心な良寛のコレクターだったと云うことは腑に落ちるものが有る。
『鴻門会』を直に目にする事が出来て満足だ。

April 1, 2010

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帰宅して一息吐けたら自転車を駆けって横浜へ向かう。
単に我武者ら駆けって試るというだけで、別段「横浜」という目的地に理由は無いけれども。
酷い向かい風で、行っても前に進まない。
風上に向かって間切るけれども暖かな南風ゴウゴウ、でオマケに登り坂。
そして余りに、行けども先には近付けないので今度は踵を返して北上。
転じて追い風。登り坂も下るが如く自転車はビュンビュン加速。
行きの登りは帰路の下りでオマケに追い風、速度はみるみる60km/h・キロメートル毎時・hour!
人に向かっては「忙しい」とか言っても、ちんたら一週間。
汗だくで帰宅してシャワー浴びてビール飲んだ。

March 31, 2010

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職場の壮行会。

March 29, 2010

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日吉に在る中古本屋にて、
山口貴由『銃声の子守唄』、
原光訳『メルヴィル中短編集』(八潮出版社、1995年)、
を、近所のコンヴィニで、
若杉公徳『デトロイト・メタル・シティ』(Bd. 10)、
を購入した。

March 28, 2010

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渋谷に在る書店にて、
高桑和巳訳『王国と栄光——オイコノミアと統治の神学的系譜学のために』(青土社、2010年)[=Agamben, G. "Il Regno e la Gloria" 2009.]、
を購入した。
それから眼鏡のレンズを作りに行った。

March 27, 2010

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六本木アートナイトへ足を向ける。
21_21で再び『クリスト展』を観た。
それから新国立美術館にて『アーティスト・ファイル2010——現代の作家たち』を観た。
入場無料ゆえの人だかり。監視員もお手上げで、作品の破損が有ってもおかしくは無い混み様。
展示内容は低調で、観る価値が有るものに思える作品は無い。ただ石田尚志氏の作品だけが、知人と云う点でも興味が惹かれたばかりだ。

March 24, 2010

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日吉駅に在る書店にて、
山口貴由『シグルイ』(Bd. 14)、
王寺賢太訳『カントの人間学』(新潮社、2010年)[=Foucault, M. "Introduction à l'Anthropologie de Kant (Genèse et structure de l'Anthropologie de Kant)" 2008.]、
を購入した。

March 20, 2010

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UPLINKにて『哲学への権利——国際哲学コレージュへの軌跡』(西山雄二、2010年)を観た。
”国際哲学コレージュ”という題材については興味を持ったが、然しドキュメンタリー作品——況んや「映像作品」としての出来は下の下である。
この作品上映にちなんだシンポジウムなどが全て"哲学コレージュ"という対象に向けられ、かつ作品の上映がそれ(対話)が為の通過点にしかないとすれば、どうだろうか? 余りに逃げ口上と云う感じはしないか。
下の階のカッフェにSndが居た。
それから渋谷に在る書店にて、
清水多吉訳『戦争論 上・下』(中央公論社、2001年)[=Clausewitz, C. "Vom Kriege" 1830/1957.]、
を購入した。

March 17, 2010

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仕事終わりに急いで帰宅し、そのまま自転車で走りに出掛けた。綱島街道から中原街道、そのまま皇居を半周して東京スカイツリー工事現場へ向かう。ひとしきり思うままそれを眺め終わった後、秋葉原、御茶ノ水から再び竹橋へ戻り、そのまま皇居ぐるりの残り西側半分を駆けてまた来た道を返す‥で帰宅した。

March 14, 2010

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昼過ぎにAと上野へ向かい、『長谷川等伯』展を観た。入場には40分程度の待ち。とは云え——混み合っていたけれども——然し、"大変に"と云う程でも無かった。

March 13, 2010

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自転車で都立大駅に在るGIANT直営店に向かい定期メンテナンスを依頼した後、永田町の国立劇場へ行き歌舞伎『石川五右衛門』を観る。非常に楽しんだ。それから都立大駅へ向かい自転車で帰宅、そのまま踵返しに渋谷へと向かい、ユーロスペースにて『パリところどころ』(「エリック・ロメール追悼特集」)を観た。

March 11, 2010

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日吉駅に在る書店にて、
『軍事研究』(No. 529, Apr., 2010.)、
を購入した。

March 10, 2010

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学芸大学前に在る模型店まで研磨剤を買いに行った折に、その道すがらに在った古書店にて、
飯田隆昭訳『シティーズ オブ ザ レッド ナイト』(思潮社、1988年)[=Burroughs, W. "City of the Red Night" 1981.]、
松元竹二編『ペルシア・トルコ童話集』(近代社、1929年)、
を購入した。

March 7, 2010

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渋谷ユーロスペースにて、エリック・ロメール『クレールの膝』を観た。

March 6, 2010

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原宿 VACANT にて、快快『Y時のはなし』を観た。終演後のライブは蓮沼執太。
終始に内輪染みた、学芸会的な雰囲気が有る。それは出演者が私の顔見知りと云う理由に留まらず、実にそのような演出を成功させている為だと言える。これを演劇として鑑賞する事、このように窮屈無く鑑賞できる演劇作品が有る事は、価値の有る事だと思う。
(この日の打ち上げは、原宿「ゆかり」だったように思う。 補記:2011/12/18)

March 5, 2010

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退社後にロードバイクで多摩へ、尻手黒川線を走り、以前住んでいた辺りを見て回った。それから聖蹟桜ヶ丘、甲州街道を経て渋谷、山手通りから目黒通りへ、中原街道へと抜けて綱島街道へ。延べ85kmほど。深夜なのでタクシーの幅寄せに気を付けさえすれば随分と走り易い。途中で幾人もロードバイクで疾走していくのを見掛けた。

March 2, 2010

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日吉に在る中古本屋にて、
桝田啓三郎訳『宗教的経験の諸相 上・下』(岩波書店、1969-70年)[=James, W. "The Varieties of Religious Experience" 1901-02.]、
澁澤龍彦『胡桃の中の世界』(河出書房新社、1984年)[文庫版。出典は青土社、1974年]、
を購入した。

February 28, 2010

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渋谷に在る中古本量販店にて、
手塚治虫『ブッダ』(Bd. 1-5、講談社)、
を購入した。
それから眼鏡のフレームを購入した。

February 27, 2010

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注文していた自転車を取りに都立大前へ行く。自転車を受け取り、そのまま乗って帰る。帰るどころか、小雨降る中を桜木町まで駆けて行った。まともに自転車に乗るのは実に2年振りくらいのものなのに、それで慣れないロードバイクの固いシートに跨がって、余りに細いタイヤで、車道を走っているのは随分と恐いものだった。

February 24, 2010

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渋谷に在る中古本量販店にて、
手塚治虫『ブッダ』(Bd. 6-14、講談社)、
内田春菊『南くんの恋人』(青林堂)、
を購入した。

February 21, 2010

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東京大学駒場キャンパスへ行き、国際シンポジウム『ドイツ語圏世紀転換期における陶酔と美』、この日の第一部「美的カテゴリーとしての陶酔——音楽と演劇」に参加した。全編に渡り使用されているのは独語。無論私は他国語を得意とはしないので、話題についていくのがやっと、と云った塩梅で。実はこの日、同じ構内で催された知人のミュージカル公演を観る筈が、それが満員の為にしぶしぶ追い出されたから、その埋め合わせにここに参加したのだが。アドルノ、ベンヤミン、ニーチェ! ロース、リーグルなど、レジュメに記載された内容はどれも見知ったかの、慣れ親しんだ話題であるけれども、それがただ独語で繰り広げられたとなればまた状況は異なるのである。どうにも単語が羅列し得るばかりで文法にはカラッキシというのは難しい。日本人同士が独語で議論するのを見て、思わず「ほう!」と感心し、そこに演劇のモチーフを探し当てたりなどして、終いには退屈していたのだけれど、大変に面白かった。
駒場東大前に在る古書店にて、
中上健次『鰐の聖域』(集英社、1992年)、
篠田浩一訳『アデン アラビア』(晶文社、1966年)[=Nizan, P. "Aden Arabie" 1931.]、
掛下栄一郎『瞬間と持続』(紀伊国屋書店、1969年)[=Bachelard, G. "L'intuition de L'instant" 1932.]、
小野忍ほか編『中国現代文学選集 少数民族文学集』(Bd. 20、平凡社、1963年)、
を購入した。
それから下北沢へ。古書店に寄り、
木村榮一訳『ボルヘル、オラル』(書肆風の薔薇、1987年)[=Borges, J. L. "Borges, oral" 1979.]、
柳瀬芳意訳『神の愛と知惠—宇宙創造論—』(静思社、1961年)[=Swedenborg, E. "Sapientia Angelica de Divino Amore et de Divina Sapientia" 1763.]、
柳瀬芳意訳『新しいエルサレムとその天界の教義』(静思社、1963年)[=Swedenborg, E. "De Nova Hierosolyma et ejus doctrina coelsti" 1758.]、
高橋義孝訳『フロイト著作集 2 夢判断』(人文書院、1968年)、
渡辺広士訳『レオナルド・ダ・ヴィンチの方法』(審美社、1972年)[ポール・ヴァレリー]、
多田智満子訳『ヘリオガバルス または載冠せるアナキスト』(白水社、1977年)[=Artaud, A. "Héliogabale ou l'anarchiste couronné" 1934.]、
これらを購入した。

February 20, 2010

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六本木、21_21 DESIGN SIGHT へ行き、『クリストとジャンヌ=クロード』展を観る。
クリストのデッサンは"印刷されたもの Printed matter"でしか目にしたことが無かったので、それが明白にコラージュだったのを知ることが出来たのは良い機会だった。
紙面で見たときには、彼のデッサンの質感は生々しいと感じていたが、実物の作品を目にする事で、それらがデッサン(絵画)ではなくてコラージュ(彫刻の亜種)であることがよく分かった。このマティエールの"生々しさ"という点を喜ぶべきであるが、このマティエールの生々しさはあくまでそれ自体の質感である。故に、これは描かれた質感ではない。絵画的表現とは、質感を描きとることで、対象の質感を実存から剥ぎ取る行為であるから、彼のコラージュは寧ろ作品中に於ける特異なマティエールを絵画的に塗り込め、絵画である為の平版性を獲得するつもりでいる。作品のカヴァとなっているアクリル・ケースもまた絵画的な平面性を示唆する企図であるが、ではアクリルの平面が画面の(ところで"画面"はどこから始まるのか?)、否、作品の基底面の手前に充分な空間を保持している為に、コラージュとして貼り込められたマティーエールは有無無くその厚みを誇示するのである。が、クリストの作品が言わばランドスカルプチャー的な、まさに"それ"だとすれば、私が今ほど支持した「作品(コラージュ)」というものは実に彼の作品の記録として他立したそれである。とはいえプロジェクトとしては失敗した"作品"、他立する為の紐を失った作品もあるが、ではこれも一つの自立した作品足り得るだろうか。
それからAと合流して、イメージフォーラムにて『ストーカー』[=Тарковский, A. A. "Сталкер" 1979.]を観た。

February 19, 2010

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日吉駅に在る書店にて、
石黒正数『それでも街は廻っている』(Bd. 1)、
かわぐちかいじ『太陽の黙示録[建国編]』(Bd. 5)、
を購入した。

February 17, 2010

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元住吉に在る中古本屋にて、
かわぐちかいじ『太陽の黙示録[建国編]』(Bd. 1-4)、
を購入した。

ファシズム的とされる物言いに於いては「わたし」というものが一つの個性に拠って或る特定の集団を代表するものとして語られる。他方で近年あるような尊大な「わたし」に於いては、個人はあくまで彼(女)の所属していると看做す集団を代表するも没個性によりこの代名詞を支持しようとする。→四人称的
だから殊更に「私的」と当該の集団を狭めるような際に於いては、「わたし」という語についてのこの四人称的な性質の強調がみられる。→積極的な受動性に拠る自己存立
この傾向は、一時の「小集団におけるカリスマの多発」を個々人に於いて継承した、いわゆる"カリスマ"の顛末(成れの果て)と言えよう。これはカリスマが集団から支持されるのに対して、あくまで自分の所属する集団を支持するに過ぎない点に於いては、やはり結局のところひ弱な一個人の横暴である。→小皇帝
「われわれ」とか「みんな」とか言われるものは、今日的な意味合いに於いては結局「わたし」のことである。

February 14, 2010

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Aと連れ立って竹橋、東京国立近代美術館へ行き、『ウィリアム・ケントリッジ——歩きながら歴史を考える』展を観た。最終日ということもあり、それなりに混み合っている。客層に若者の多いことは"映像もの"ということで想像通りであるが、それにしても彼(女)らに混じってちらほら見掛けるあの中年・老年の観客たちは、普段は何を職とした人々だろうか(出版関係か?)、異彩といえばそうも思える。
 展示については、混み合っていたこともあり、大体においては辟易させられた。先ずは「導線」のこと、映像作品が部屋の四面に対して投影される部屋では、鑑賞者らが自然中央に集まりがちとなり、部屋から部屋への自由な移動が困難となる(他の鑑賞者の前を、映像を遮って移動することが憚られるため)、結果人の流れが滞り混み合ってしまう。これは小部屋で一面に対してのみ投影を行う場合でも同様に、鑑賞者は最初上映されている作品の内容を窺い見定めようとするので、やはり自然入り口付近は混み合ってしまう。今回の場合、このように混み合った鑑賞者らの背後をくぐり抜けて移動しなければならない部屋もあったので、面倒は感じた。また、映像展示の場合、映画館でのように作品の初めから観始めて終わりまで観るということが出来ず、途中から観始めて一巡するまで観るという方法に依るので、大抵は途中からでは話の筋が掴めず半ばで観るのをやめてしまうか、或いは一巡するまでの忍耐を試されるか、混み合った困難の最中での鑑賞となり絵画を観るに比べれば随分と手間が多い。まして一つずつ作品を片付けていくとなれば総尺以上に時間が掛かる。となれば同時に複数の作品を並行して観ることが好ましく、さらに一巡までの時間がなるべく短い方が好ましい。このために鑑賞者の身勝手により、作品はなるべく内容が明快で短尺の——まるでTVCMのような類いのものが喜ばれる。が、それでは余りに無味乾燥。例えば長く広い廊下のような、一続きの空間の両側に映像が投影され(幅は15mあれば充分だろう)その中央が2mほどの通路となっている、或いはパノプティコンさながらの上映空間、また或いは一つの部屋で複数の作品を上映する場合でも、別個に上映するのではなくそれぞれの作品を一続きにして幾らかずつズラして上映する(映像を用いたインスタレーション作品では無効な方法であるが)などの工夫は欲しい。私は特に首尾よく作品の鑑賞を済ませたいとする性質なので、効率の良い鑑賞の導線が好ましいと感じる。が、無論、このような"効率主義"こそ無味乾燥と言う輩よ、であれば立ち止まれば善いのだし。次に照明のこと、今回は映像上映がされる暗箱の部屋と、作品に関わるデッサンを展示したプロムナードさながらの部屋とが交互に連続して(まるでムソルグスキー『展覧会の絵』かのように)構成されている。(補記。鑑賞者らの流れを暫し観察してみると、大抵彼(女)らは迫って次から次と映像上映の部屋を梯子し、デッサンの部屋ではそれほど留まらないように感じた。それ故に「プロムナード」)。つまり鑑賞者は一連の作品鑑賞においては暗い部屋と明るい部屋とを交互に、明順応・暗順応を繰り返しながら鑑賞するのだが、当然ながら初めのうちはこの明暗の変化にまだ目が慣れない。最初の映像上映の部屋は多面スクリーンであり、かつ先に指摘した通り導線が不適切なので混み合い、さらに部屋の暗さにまだ目が慣れないでいるので、結果人の流れが滞ってしまう。この部屋は特に混み合っているように感じた(時間帯、入場者数の増減にもよるが、滞りの原因を多く備えている)。そのため、この部屋に限り中央部には薄明かりのある方が具合が良いのではないかと思った。同様にプロムナードの照明は若干暗めに(作品に向かう照明はそのままで)した方が良いだろう。先に述べた通り鑑賞者らの大抵はこのプロムナードを飛ばすので、目は次第に慣れ始めるのだが。三つめに、補足ではあるが映像作品のキャプションはプロムナード側(映像上映の部屋への入口にあたる)に付けるか、紙面として配布するかが望ましい。というのも、相変わらず熱心にキャプションばかり目で追って作品を鑑賞する人は多いし、そのような人々の合間を縫ってこれを確認するようなことは(特に私のような性質にとっては)手間であるから。結論としては、美術館での映像展示においては、その建築的な制約から(基本的には美術作品の展示を主眼に設計されているため。インスタレーション作品に関しては空間的な基底の曖昧な作品が多いためにこの難をかろうじて逃れることが多い、それはそれで作品それ自体の難点ではあるものの)様々な鑑賞上の困難が生じる。先日観た『レベッカ・ホルン展——静かな叛乱 鴉と鯨の対話』(@東京都現代美術館)でも同様。ただ、近年のもので言えば、同じ東京国立近代美術館での『ビデオを待ちながら』展は例外的にストレスの少ない印象の展示だった。
 国立近代美術館では偶然、Ysdさんと遭遇した。
それから表参道へと移動し、青山 EAST and MEETS Cay 「蓮沼執太チーム『ワナパンチ!』ツアー・テン」に行く。快快が『Y時のはなし』プレビュー公演を行うということで、それを観に。久々に快快の面々と挨拶を交わす。相変わらず、基本的に彼(女)らの性状は変わらないのであるが、それでも何か思い掛けず、といった具合に、あれこれ吃驚したようにも感じた。

#
ブハーリン:死ぬのはつらいのです
スターリン:我々は気楽に生きていくとでもいうのか

February 12, 2010

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日吉駅にある書店で、
『軍事研究』(No. 528, Mar., 2010.)、
を購入した。

February 11, 2010

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千駄木の「羽鳥書店まつり」へ行く。後で知人から聞いたところに依ると、午前中には殆どが売れてしまったらしく、なるほど私が事前に聞きつけて狙っていたような哲学ものの書籍は殆ど残っていなかった。
『10+1』(No. 15, INAX出版, 1998.)[特集=交通空間としての都市:線/ストリート/フィルム・ノワール]、
同(No. 34, INAX出版, 2004.)[特集=街路 Road/Street]、
小倉志祥訳『反時代的考察 ニーチェ全集 4』(筑摩書房、1993年)[=Nietzsche, F. "Unzeitgemässe Batrachtungen" 1876.]、
Benedikt, M. 編『サイバースペース』(NTT出版、1994年)、
高橋義孝訳『フロイト著作集 3 文化・芸術論』(人文書院、1969年)、
西谷修訳『〈非-知〉閉じざる思考』(哲学書房、1986年)[=Bataille, G. "Œuvres complètes de Georgrs Bataille, tom. VIII, Gallimard, 1976, pp/ 185-243, pp. 563-592./1951-53."]、
松平千秋訳『アナバシス』(岩波書店、1993年)[=ΞΕΝΟΦΩΝ ”ΑΝΑΒΑΣΙΣ”]、
宮下志朗訳『ユリシーズの涙』(みすず書房、2000年)[=Grenier, R. "Les Larmes D'Ulysse" 1998.]、
露崎俊和 他訳『ヒッチコックによるラカン——映画的欲望の経済』(トレヴィル、1994年)[=Zizek, S. "Tout ce que vous toujours voulu savoir sur Lacan sans jamais oser le demander à Hitchcock" Navarin, 1988.]、
大江健三郎『憂い顔の童子』(講談社、2002年)、
これらを購入した。
それから谷中の方へと歩き、古書店を梯子する。
田中美知太郎訳『テアイテトス』(岩波書店、1966年)[=ΠΛΑΤΩΝΟΣ "ΘΕΑΙΘΗΤΟΣ"]、
千田憲編『祝詞・寿詞』(岩波書店、1935年)、
辻直四郎訳『リグ・ヴェーダ讃歌』(岩波書店、1970年)、
飯塚浩二訳『人文地理学原理 上・下』(岩波書店、1940年)[=Blache, P. V. "Principes de Gèographie Humaine" 1922.]、
飯吉光夫訳『陶酔論』(晶文社、1992年)[=Benjamin, W. "Über Haschisch" 1972./1930-32.]、
これらと、古伊万里(?)の小皿など雑貨も幾つか購入した。

February 7, 2010

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Aと渋谷へ行き、Tower Records にて、
Oistrakh, D. "Shostakovich, D.: Violin Concerto No. 2 in C sharp minor, Op. 129 / Tchaikovsky, P. I. : Violin Concerto in D Major, Op. 35"(London Symphony Orchestra, 19 Nov. 1967. / London Philharmonic Orchestra, 26 Nov. 1972., BBC, 2009.)、
"Mussorgsky=Ravel: Picture at an Exhibition, Mussorgsky=R. Korsakov: A Night Bald Mountain. Valery Gergiev / Kirov Orchestra, Yuri Simonov / Leningrad Philharmonic Orchestra"(Dec. 1989. / May 1980., Memories Excellence.)、
を購入した。
それから"[シアター]イメージフォーラム"へ行き、タル・ベーラ”ヴェルクマイスター・ハーモニー”を観た。観始めて5分もしないうちに気付いた。既観の作品である事を。

February 6, 2010

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この日は、『鈴木繭子・大室祐介——ピント 焦点』展(@秋山画廊)を観る為に、先ずは渋谷へ出た。Omr君は16時頃に画廊へ行くとの事だったので、それまでは余暇の時間に、当て所無く散歩をすることに決めた。Tower Records へ行き、
Stockhausen, K. "Klavierstück I-XI, Mikrophonie I & II"(Jul. 1 & 2, Nov. 15-17, 1965 / Jun. 11 & Dec 18 &18, 1965., Sony Music Japan, 1967/1993.)、
Münch, C. "Berlioz: Symphonie Fantastique"(Orchestre De Paris, Oct. 1967., EMI Music Japan, 1968.)、
Bastro "Sing the Troubled Beast / Bastro Diablo Guapo"(1989 / 1990, P-VINE RECORDS, 2005.)[Remaster盤]、
を購入した。さらに近くのカッフェで一息吐く。だが、定刻までにはまだ余裕が有る。代々木神宮へ行き、
原宿駅から本殿までを一往復し、それから秋山画廊へ向かった。Hrtさんに会う。
それから代々木、新宿へと抜けて、disk union へ行く。
microstria "reprovisers"(thrill jockey, 1997.)、
V.A. "folds and rhizomes for gilles deleuze"、
を購入した。
それだけに飽き足らず新大久保のアジア食材店まで足を伸ばした。

February 3, 2010

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仕事帰りに電気屋の暖房器具売り場へ行き、そこで束の間往生した。
私は二台在るファンヒータの前で暫く勘案した。左手の一台は、徳川だか明智だか、武張った響きがローマ字綴りにしてあるメーカの。もう一台はコロナ製である。外観としては左のものが気に入った。デザインしてあるらしい、かといって何とも垢抜けない容貌が如何にも暖房器具である。ファサードが見た目にシンプルで、耳馴染みの無いメーカだが、よっぽど酷く無ければこれも有りだ。しかし片やコロナである。先ず確実に動作の問題は無かろう。エアコンであればダイキン製、と言うのにも似ている。そう云えば私の幼少の頃に、「ズックがほちい」と父に言ったら「オニヅカにしなさい」と言われたことを思い出す。私はナイキのが欲しかったのだが、社名に盲目的な信頼を抱く響きの有るのがブランドで、母方の祖父が同様の口振りを大塚製薬について使っていたのが懐かしいが。さて、この二台は殆ど同じ価格である。おまけにどちらも特価なのだ。動作性能は——コロナのカタログはすぐに見付けた。武張った方は陳列棚の端の方で、他の商品の間に挟まれくしゃくしゃになった一部を見付けた。並べて見比べてみると、静粛性なら左であるが熱効率なら右のということらしい。ただし最大動作音ではどちらもさしては変わらない。また、左のメーカは燃焼機関の耐久性を売りにしている。それならコロナ製にも聞き見知ったような信頼性を覚えている。私はこういう比較に熱中して真剣になる。先ほどから売り場の店員が二三度脇を通り過ぎるものの、最早出る幕が無い、といった具合に。

元住吉に在る中古本屋にて、
氷室冴子『海がきこえる』(徳間書店、1993/1999年)[文庫版]、
同『海がきこえるII アイがあるから』(徳間書店、1995/1999年)[文庫版]、
を購入した。

February 1, 2010

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夜に雪が降った。
東京に、このような明らかに雪が降ったと言わんかばかりに降り積もるのは、覚えの有る限りこれが今冬に初めての事ではないかしら。

January 31, 2010

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東京都現代美術館に『レベッカ・ホルン展——静かな叛乱 鴉と鯨の対話』を観に行く。
館内のカッフェがベトナム・メニューを提供していたので、私はプリンとベトナム・ビールを注文した。プリンは南瓜でも入っているような色調で(或いは南瓜プリンだったかもしれないが、覚えていない)、刻んだ氷が掛けてある。ビールの味は南国のものによくある薄味。とても気に入った。屋台ふうにディスプレイされた物販コーナーが在ったので、ちゃちなベトナム製のスプーンを買った。まるでスプーンを型取りして鋳込み、模造品として仕立てたかのようなスプーン(機能的には全く問題が無い!)。
企画展に関しては映像作品が多め。にも関わらず、小部屋に別れている映像展示スペースには充分な座席数が確保されていない。鑑賞者は自然、入り口の辺りに溜まってしまう(完全入れ替え制では無い為に)ので、落ち着かず窮屈な鑑賞を強いられる。ゆったりとした一人掛けソファは要らないので、代わりにベンチを置いてほしい。オブジェ作品を展示するスペースには、鑑賞者が不用意に作品へ近付かないよう、作品の手前の床に木の棒が打ち付けてある。が、これが思ったよりも分かり難く、案外に気に留めないものである。私は「それ以上作品に寄るな」と数回注意を受けた。とは云え、フィルムが床に散らしてある、天井には何か放電を行うらしい装置のあるインスタレーションふうの作品に関しては、このような棒が床に打ち付けられてはいない。一見するとインスタレーション作品のようだから、作品の一箇所にフィルムが床に置かれていない場所が在り、そこからは放電器の真下まで歩み寄れそうである(作品を構成する床置きのフィルム群は、C字に配置されている)が、ここでも係員からの注意を受けた。「放電器に近寄ると危ない」とのことであるが、どう考えても作品の内部へ、放電器の真下へ行って観るべき作品のように思えるのだから、やはりこの誤解を生じる場所の床にこそ棒を打ち付けるべきなのである。つまりこの作品は大柄なオブジェとみるべきもののようである。段々と気が散ってきたので、2階から吹き抜け空間の方を窺い、『アルスエレクトロニカ』展の設営風景を眺めたり、終いには飽きてしまった。
とは対照的に、常設企画展の『岡崎乾二郎』展は大変に良かった。

January 30, 2010

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渋谷にてYsdさんと待ち合わせる。その道すがらに自由ヶ丘に在る中古本量販店へと行き、
弐瓶勉『BLAME!』(Bd. 5, 8, 9)、
を購入した。渋谷へ着き、彼女と青山霊園を散歩し歓談する。
16時前に、銀座線で渋谷、東横線で中目黒に移動し、そこで彼女の友人とも合流して
"青山|目黒"(ギャラリー)へ行き、『Lotte Lyon 1:2』を観る。(他、同作家の展示会場二箇所も回った)それから二人は清澄白河へ、私は歩いて恵比寿へ向かい中華料理屋で同僚と呑んだ。
その道すがらにも古書店に立ち寄り、
青柳祐介『土佐の一本釣り』(Bd. 1-25)、
を購入した。
呑み終わり。23時前にAと合流して帰宅した。

January 29, 2010

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退社後に一度帰宅して、そのまま踵返しに商店街の方へと向かい、一人で居酒屋へ行き夕飯を済ませた。生ビールの大ジョッキ片手に、寿司とカキフライを食べた。
それから、ほど近い中古本屋へと行き、
いくえみ綾『バイ・アンド・バイ』、
矢作俊彦・藤原カムイ『気分はもう戦争2.1』、
を購入した。

January 28, 2010

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Salinger, J. D. 逝去。

January 27, 2010

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帰宅路に大回りをして綱島へ行き、中古本量販店にて、
佐藤達夫訳『人体解剖カラーアトラス 二国後版』(南江堂、1983年)[=McMinn, R. M. H./Hutchings, R. T. "A Colour Atlas of Human Anatomy" Wolfe Medical Publications, 1977.]、
を購入した。

January 25, 2010

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昼過ぎ遅く、Aと御茶ノ水へ行き、湯島聖堂、ニコライ堂を巡り丸善へ、
平出隆『鳥を探しに』(双葉社、2010年)、
梶田裕訳『感性的なもののパルタージュ 美学と政治』(法政大学出版局、2009年)[=Rancière, J. "Le Partage du Sensible" 2000.]、
を購入し、さらにその隣に在った DISCUNION へ行き、
Oval "iso fabric" 1997.、
同 "pre/commers" 2000.、
を購入した。
それから秋葉原に立ち寄り、そこでAとは別れた。

January 23, 2010

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日吉駅に在る書店にて、
山田芳裕『へうげもの』(Bd. 10)、
を購入した。
帰宅路に遠回りをして自由ヶ丘へ行き、中古本量販店にて、
『10+1』(No. 12, INAX出版, 1998.)、
を購入した。

January 20, 2010

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退社後に、職場での懇親会の為に綱島のボーリング場へ行き、そののち呑んだ。
帰宅路に元住吉の中古本屋へ立ち寄り、
かわぐちかいじ『太陽の黙示録』(Bd. 15-17)、
を購入した。

January 19, 2010

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日吉に在る中古本屋にて、
『耳をすませば』(Bd. 1-4, 徳間書店)[フィルムコミック版]、
を購入した。

January 18, 2010

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綱島の中古本量販店へ行き、
かわぐちかいじ『太陽の黙示録』(Bd. 1-14)、
を購入した。

January 14, 2010

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帰宅路に近所のコンヴィニーにて、
井上武彦『バガボンド』(Bd. 32)、
を購入した。

January 12, 2010

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日吉駅に在る書店にて、
『軍事研究』(No. 527, Jun., 2010.)、
を購入した。

January 11, 2010

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昼過ぎにAと皇居東御苑へ行く。有楽町、銀座を散策しカッフェで一息入れる。
それから飯田橋へ行き、中古本量販店にて、
高橋ゆたか『ボンボン坂高校演劇部』(Bd. 7, 8, 12.)、
富樫義博『レベルE』(Bd. 2),
を購入する。
モロッコ料理屋へ向かい、Aの友人とも合流し歓談する。

January 9, 2010

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昼過ぎに大手町へ行き、江戸城跡を散歩しようと思ったのだが、着いたときには閉園時間を過ぎていた。
それで、馴染みの経路——竹橋から九段、市ヶ谷へ——を歩いた。
皇居のぐるりをランナーたちが走っていて、——これが近頃の流行りらしい、と感じたのだが——誰もが厚手のタイツのような、ナイロン地のレギンスと言われるものだろうか、ぴったりと脚のシルエットを晒し出すようなものを穿いていた。
彼(女)らの恰好は、然し一向にやる気があるけれど、内股に頼り無いストロークで、その外観的な勢いの割には前へと進める気配が無い。
と、ファッショナブルな彼(女)らの脇を、颯爽、手練れのランナーが駆け抜けていく。
それが為にまるで己れが脚線美を誇ろうと云うのか、中世染みたタイツの装いを、半ば倒錯的な印象を以て彼(女)らの心意気が私にノスタルジーと薄暗い嘲笑の気分を与えた。
それから総武線で新宿へ、淳久堂へと向かう。
上村忠男訳『言葉の死 否定性の場所に関するゼミナール』(筑摩書房、2009年)[=Agamben, G. "Il linguaggio e la morte. Un seminario sul luogo della negatività" Terza edizione accrescuta: Torino, Giulio Einaudi editore, 1989. Prima edizione, 1982.]、
高橋和巳訳『思考の潜勢力 論文と講演』(月曜社、2009年)[=Agamben, G. "La potenza del pensiero; Saggi e conferenze" Vicenza: Neri Pozza, 2005.]、
を購入した。
書店で『思考の潜勢力』を少し立ち読みして、Stimmung に関する項目に強く惹かれた。

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"J'avais vingt ans. Je ne laisserai personne direque c'est le plus bel âge delavie."
「私は20歳だった。これが人生の最良の時だとは誰にも言わせない」1931

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「ぴちっときまって、エレガント! ぴちっときまって、エレガント!」

年の瀬の余暇を利用して、生家の客間に俯せて寝そべり大江『水死』を読み終えた。
終始に渡り作品の構造が一貫しているので、難解な事は無く、寧ろ読み易いものとして私には楽しめた。
この作品に通底するものは書き手に因る作品内に於ける「釈明」であると、私は考える。
言うなれば書き手の「執筆(作品を産出する)」と云う行為の空け開きであるが——例えばチェルフィッチュのする劇中に於ける自己言及性の明示、演じに先行する台本を劇中に於いて支持し続ける事で、劇作と云う行為を露わにするのにもそれは似ている。
乱暴に約めてしまうと、チェルフィッチュがノン・フィクション(演じ)をフィクション(演技)として行為するのに対して、大江はフィクション(物語)をノン・フィクション(執筆)として行為する。換言すれば、作品に於いて前者が「これも演劇なんですよ」と開き直る事で観者に作品を俯瞰させる(退かせる)のに対して、後者は「でも書かなければならないんですよ」と観者を再び作品へと連れ戻す、と云う意味合いでこれは「釈明」なのだ。
『水死』の物語は、当初、主人公の長江古義人(直裁に大江本人を想起させる)が"晩年の仕事(レイト・ワーク)"である「水死小説」を断念し、自身が「大眩暈」に襲われて第二部が始まる。だが、それまでの第一部は繰り延べであり、実に「失敗」から始まる第二部こそが第一部であるかのように見える。となればこの第一部とは作品全体に掛かるト書きの役割を果たす。
そして第三部では主人公から見れば他者であるウナイコの「死んだ犬を投げる」芝居が頓挫する。ここで、作中に於いては二度失敗が提示されることになるのだけれど、読み手にとって二度目の失敗は最初の失敗を追憶するようにして経験される。(だが、時間経験としては前方に向かって反復される。詰まり、第一部と第二部との間には本の綴じ目のような折り返しがあるのだ)
この物語に敢えて主題を与えるとすれば、自然と大黄に焦点が定まる訳だが、では何故「水死小説」が頓挫してからでなければ大黄は登場出来なかったのか、何故「死んだ犬を投げる」芝居の頓挫と共に大黄は死なねばならなかったのか(然しながら正確には、大黄の死は暗示されるに過ぎない)を考えるならば、この理解には妥当性が生じる。簡単に言えば、この作品は"0+2"の構造、「三歩進んで二歩下がる」構造がある。
そして作中に登場するこれら二つの作品は、どちらも失敗によって明示され完結する——まるで実現しなかった事に依って初めて完成するかのように。さらに言えば、作中の作品それ自体は具体的に実現される事が無く、物語の主題は宙を向いている。詰まり、作品が入れ子になっている訳では無く、『水死』が作中の作品を明示する事に因って「釈明」の構造が作品(『水死』)からメタ構造化してしまう事を止揚している、と云う点で上述したチェルフィッチュの方法よりも上手く作品の宙吊りを実現している。
個人的には(批判的な含みを持たせて)劇作に関わる人間が読むべき作品であるように思う。何故なら、作中に於いて古義人が常にウナイコの仕事に対して傍観的である態度に、私も同調するからだ。

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僕は二人が同じ場面に登場する度に、ホールデンとフィービーがヤッちまうシーンを想像して、オナニーしちまう。
でも別に、僕が妹とヤリたい欲求抱えてる訳ぢゃ無い。
妹とヤルなんて、マトモな精神なら思い立つもんぢゃ無い。
ただそういうこと思い付いてしまうってだけで、ホンキで「そうなればいいな」なんて考えるハズがない。
単に"思い付き"って、多分こういうことだろう?
偶然に。思い掛けず、というかまるで「災難」みたいなもんだろう。思わず「ヤッちまった!」って後悔だな、ホント。
僕はオナニーがしたいだけで、ぶっちゃけ理由なんて何でもいい。
何でもいいから、思い付いたものに「ぱっ」と飛びついた方が、そりゃ自然ってものでしょ。

#
僕は、言ってみれば"マネキンみたいな女"が好きなんだ。街に陳列されてる、「いかにも流行りの…」って感じの、あの不快にならないってことが好印象ってだけの、だから「どこにでも居るような、可愛いあの子」って感じ。そういう感じが僕の好みあんだね。
で、そういう女って、いつの間にか結婚しちゃったりなんかして、子どもまでいたりする。だから僕にはホント関係無い女ね。家畜みたいに多産で、欲深く、ぬくぬくとしているような、そんな路傍の石ころみたいに通りすがりの女に、正直なところ、僕はホント、まいっちゃうんだよね。

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闊歩するマネキン女と俯いて突進してくるケータイ狂いの歩行者。

January 6, 2010

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職場からの帰り、日吉に在る中古本屋にて、
『埴谷雄高全集 第三巻 『死靈』』(講談社、1998年)、
を購入した。
それから近所の中古品販売店にて、
"TETRIS THE GRAND MASTER ACE"(XBOX360, AQ Interactive, 2005.)、
XBOX360用のワイヤレスコントローラを購入した。

January 4, 2010

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バスが車道の際まで迫ってくるのを、私は白線の内側に縮こまって、やり過ごしている。

January 3, 2010

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新幹線で帰京しようかとも思ったのだが、復た鈍行で東京に帰った(帰路)。
西那須野→宇都宮→小山→渋谷
渋谷でAと食事をした。

January 1, 2010

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年を越してから1時過ぎに家族で那須塩原駅へと向かい、ツアーバスに乗り込む。
途中数カ所で乗客を拾って回り、東北自動車道を北上して松島へとバスは走った。
7時前に松島に到着する。松島をクルージング船で廻り、乗客たちは船上から初日の出を観る(私は見た)。
朝食を済ませたあと、塩竈神社を参拝し初詣を済ませる。
それから三井仙台港アウトレットパークへと移動し、私は何をするでも無いから散発的に歩き回っていた。
全行程が終了し、乗客たちは復た来た道を帰っていった(帰路)。
福島を通過するあたりでは吹雪となっていた。
合間‥のバスによる移動で私は殆ど寝入っていたように思う。